鹿島、下克上で7年ぶりの年間王者

by garamon

 サッカーJリーグの年間王者を決める明治安田生命チャンピオンシップ決勝が3日、埼玉スタジアムで第2戦が行われ、鹿島アントラーズが2―1で浦和レッズに勝利しました。

 鹿島は第1ステージ覇者で、年間勝ち点では3位。11月23日の準決勝で年間勝ち点2位の川崎フロンターレを1―0で降し、下克上に成功。決勝戦は、第2ステージ覇者で年間勝ち点1位の浦和との対戦になりました。

 決勝はホーム&アウェー方式で、第1戦は浦和が1-0で勝利。年間王者に王手をかけた浦和は、第2戦も先制ゴールを上げましたが、FW金崎夢生(27)の2ゴールで逆転、7年ぶり8度目の年間王者に輝きました。

 第1戦を0-1で落とした鹿島は、年間王者に輝くには第2戦で2得点以上して勝つことが絶対条件だったのですが、見事にそれをやってのけました。年間勝ち点で15もの大差を付けられながら、まさに奇跡の下克上です。

 一方の浦和は、2年連続で大会方式の前に涙をのみました。浦和のペトロビッチ監督は「規定上はアウェーゴールの差で負けたが、1勝1敗なので決して負けたとは思っていない」と悔しさをにじませていました。


ロシア選手、リオデジャネイロ・オリンピック参加拒否100人以上

by garamon

 国際ボート連盟(FISA)は26日、ロシアが国家ぐるみでドーピングを隠蔽していた問題で、同国の22選手についてリオデジャネイロオリンピック参加を認めないと発表しました。

 FISAは既に3人の選手について参加を認めない決定を降していましたが、新たに19人が国際オリンピック委員会(IOC)の求める基準を満たしていないことが判明したと言う事です。
 FISAによると、19人は過去5年間に行われた検査では禁止薬物に対して陽性反応を示していませんが、「信頼できる国際的な検査の記録だけを参考にする」としたIOCの審査基準を満たしていないと判断したそうです。

 ロシア・オリンピック委員会は陸上の68人をはじめとする選手387人をリオデジャネイロ・オリンピックの代表に決め、28日の出発を予定していましたが、国際競技連盟の審査によって計6競技で100人を超える選手がオリンピックから除外される事になりました。

 世界反ドーピング機関(WADA)は今月18日、2014年のソチ・オリンピックを初め、夏季の20競技、パラリンピック競技などで国主導のドーピング隠蔽があったと認定し、IOCにリオデジャネイロ・オリンピックからロシア選手団を排除するよう勧告していました。しかし、IOCはロシアの全面排除はせず各競技の国際連盟に判断を委ねていました。

 この決定にたいしてWADAは、「勧告が受け入れられず、失望した。ロシア選手団全体のオリンピック参加を拒否すべきだとするWADAの立場は変わらない」との声明を出しています。


NPBが全球団に謝罪へ

by garamon

日本プロ野球機構(NPB)が、プロ野球で使用されている統一球の反発力を昨季より大きくしていた事実を隠蔽していた問題で、NPBの下田邦夫事務局長は13日、12球団の代表者を集めた会議を14日に開き、事情説明と謝罪を行うことを明らかにしました。会議には加藤良三コミッショナーも同席するとのことです。

この問題、今シーズンのホームラン数が昨シーズンの5割増になるなど、選手の間で「ボールが去年より飛ぶ」との声が上がっていたのが始まり。選手会がNPB側にこの件をただし、11日にNPBの下田事務局長が「昨年までの検査で反発力が基準よりも低い球が目立ったため、製造しているミズノ社に昨夏に修正を指示し、今季開幕から新球を使用していた」事を認めた物です。
NPBの加藤コミッショナーはこの件で自身の関与を否定し、「不祥事とは思わない」と発言。この発言に対して事務局には抗議が殺到していました。

下田事務局長の話を信じるなら、ミズノが不良品を納品していたことになりますが、その不良率はどの程度で、ミズノに対して賠償を請求したのか。そして、何故その事実を公表しなかったのか。どうも腑に落ちないことが多い話です。


岩村、7年ぶりヤクルト復帰

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プロ野球の東京ヤクルト・スワローズが11日、東北楽天イーグルスを戦力外となった岩村明憲内野手(33)と1年契約を結びました。年俸は1500万円プラス出来高払いで背番号は48、これは1997年のヤクルト入団時から4年間つけていた番号です。

岩村明憲は1996年、宇和島東高校からドラフト2位指名を受けて東京読売ヤクルトスワローズへ入団。1999年のシーズンから1軍に定着、以降は3塁の定位置を獲得、クリーンアップを打つなどチームの主力として活躍。2006年と2009年には、ワールド・ベースボール・クラシックの日本代表に選出されました。

2006年にスワローズからポスティングシステムでメジャー・リーグのタンパベイ・レイズに入団、2009年シーズンオフにトレードでピッツバーグ・パイレーツへ移籍。しかし同年9月に解雇され、オークランド・アスレチックスとシーズン終了までの契約を締結したものの、ここでも10月に解雇されました。結局2010年に東北楽天ゴールデンイーグルス時計訳して日本球界に復帰。しかし、楽天でも数字が伸びず、今シーズンオフ自由契約となっていました。